ツクロークン「もう中学生」との小道具トラブルで名前がでた芸人のツクロークン。2022年現在は48歳ですが、もう中学生さんよりも後輩にあたる芸人さんだそうです。

 

調べてみるとツクロークンは芸人でありながら灘高出身で、その後美術を学ぶために大学へ進学。学歴がすごかったので詳しく調べてみました!

ツクロークン(芸人)は灘高校出身で学歴がスゴイ!

ツクロークンのWikiによると、ツクロークンは「愛知教育大学の教育学部」を卒業していることが分かりました。

 

しかしWikiに載っているのはそれだけだったので、更に良く調べてみるとなんと!ツクロークンは日本の名門高校である灘高校を卒業しているらしいのです!

 

学歴としては以下になります。

ツクロークンの学歴

灘高等学校卒業

愛知教育大学教育学部美術専修・専攻卒

ツクロークンは灘高校出身で秀才だった?!

驚くことに、ツクロークンは灘高校出身であることが判明しています。2021年12月のとちテレ公式チャンネルで「灘高の土で育っている」との発言があったことから「灘高校出身」でないかと思われます。

 

ただ確定ではありません。言葉のニュアンスとして「灘高校を卒業しているように聞こえる」のでその情報を載っけました。  ツクロークンは灘高校出身

こちらの画像は、とちテレ企画内でドラゴンボールのキャラクターである「サイバイマン」に扮したツクロークン。ちなみにサイバイマンはこちら↓

サイバイマン

コスプレは完璧ですね笑

灘高校
灘高校

灘高校といえば、神戸市にある偏差値79の日本で一番の高校です。ラサール高校や開成高校を抑えて偏差値1位の高校ですから、ツクロークンは昔から勉強が好きだったんでしょうね。

 

灘高校の生徒はほとんどが大学に進学。東京大学や京都大学、私立の早稲田や慶応、さらに医科大学に進学します。しかし、ツクロークンの進学した大学は愛知教育大学だったんです。

ツクロークンの出身大学は愛知教育大学

ツクロークンは愛知教育大学出身

ツクロークンの進学した大学は、愛知教育大学の教育学部です。偏差値を調べてみると47.5〜55。偏差値だけで見れば、愛知教育大学よりももっと違う大学の選択肢もあったように思えますよね。

愛知教育大学
  • 偏差値47.5〜55
  • 〒448-8542 愛知県刈谷市井ケ谷町広沢1

推測するに、愛知教育大学でなければいけない理由があったんでしょうね。愛知県出身なので、そこは何か関係があったのかもしれません。

 

この大学は教育学部のみが存在し、教員を育てる専門の大学として設立されています。この大学でツクロークンは美術を専攻しています。

 ツクロークンは愛知教育大学で美術を専攻。

引用元:週刊文春

とちテレの学力テスト企画では、基本五教科全てでトップ。500点満点中392点で1位を獲得していました。ツクロークンは2022年現在で48歳、学生時代ははるか昔でうろ覚えだったにもかかわらずこの点数はスゴイですよね笑

解答を見てみると、字も上手でキレイ。本当になぜ芸人になったのか分かりませんよね笑

 

大学卒業後は吉本NSC東京校の13期生となり、芸人デビュー。ほぼ名前は売れずにここまで来ているので今からでも何かしらの職業につくことが出来るんじゃ…と思ってしまいますが。

ツクロークンはなぜ芸人になったのか?

ツクロークン

ツクロークンのプロフィール
  • 本名:不明
  • 芸名:ツクロークン(2015年〜)
  • マラソンマン→バドミントンマン→ツクロークン
  • 生年月日:1973/4/5
  • 年齢:48歳(2022年1月時点)
  • 出身:愛知県
  • 血液型:B型
  • 身長:145cm

ツクロークンはなぜここまでの学歴を持ちながら芸人になったのか?プロフィールを調べると、大学卒業後からNSC入学まではかなり期間が開いているんです。

 

1973年生まれだと大学卒業は1996年。NSC13期生ですので、NSCに入ったのは2007年ということになります。2007年だとツクロークンは当時34歳くらい。約10年以上普通に働いていたものと思われますが、どんな職業についていたのかは明らかになっていません。

 

ツクロークンは、アートが得意な芸人集団「デコロビ隊」のリーダーも努めていました。

デコロビ隊リーダーだった美術屋のツクロークン

当時から先輩や後輩芸人の小道具を作る吉本きっての「美術屋」と紹介されています。

“デコロビ隊”リーダーを務めるのは若手芸人・ツクロークン。ピン芸人として同ホールで腕を磨くか傍ら、第一線で活躍する先輩芸人たちの公演等で使用するセットや小道具などを作成する、吉本きっての“美術屋”だ。

引用元:ORICON

昔から美術系の小物作成が好きだった。自分のものだけでなく他の人にも作ってあげたかった。作成物を作って喜んでもらえるのが好きだった。そんな感じが伺えますね。

 

もう中学生の作品も一生懸命作っていたと思われますが、素晴らしい完成度です。この作成者として名前が世に出ないのは悲しいですが、今回の件で多少名前は売れましたね。